乾徳寺と魚藍観世音菩薩
元文元年(1736)松代四代藩主信弘「乾徳院殿龍嶽一雲大居士」が六十七歳で没し、長国寺第十四世蜜峰和尚が信弘の冥福を祈るため一寺を建立し、照光山乾徳寺と号した。
松代五代藩主信安は、乾徳院の茶湯料として、十石六斗一合の地所を寄進した。
また、松代六代藩主幸弘は、自分の生母、慈眼院の守本尊であった、魚藍観世音菩薩を寺に納めた。
松代には、他所に
「魚藍観音」を祀っているところがあるが
ここの寺のような
明確ないわれ?????
いかがなものなのだろうか?????
祀り
続ければ
それは本物となってしまうのか?????
不思議だなー?????
そんなものなのかなー?????
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