2016年11月27日

大鋒寺にて

大鋒寺は
真田信之の菩提寺

ここは
信之の隠居所だった

その
信之の戒名というかを
使って
寺名としたという

住職の話では
「院」の文字が使われていないが
院号だけではなく
別の言葉も使われていたのだという

ちなみに
信之の戒名は
『大鋒寺殿徹巌一当大居士』

普通
戒名とは
「一当」
なのかも知れないが
住職は
「法号」と説明して下さった

このことを考えると
「大鋒寺寺」
というのが
その意味としては
いいのかも知れないとは
私の勝手な考え

信之の
お墓に行くと
宝形院塔のお墓があった
その隣には
殉死した
鈴木右近の墓があった
住職の説明では
鈴木右近の墓は
法泉寺という曹洞宗の寺にあるという

そして
信之の墓の前に
鳥居がある

大鋒寺にて


以前に来たときには
気づかなかったのだが
その鳥居には
文禄7年
従五位下 伊豆守 滋野幸貫
と書かれた文字があった
恐らく
この年に
祀られたものと思われる

真田氏の直系が途絶えた
第8代藩主が松平氏から来た
幸貫は
真田氏の出自を考え
滋野氏としたと
住職の話

幸貫は
信之に心酔していたので
信之を
家康のように
神にしたのだろうと話した

明治の
廃仏毀釈の時代になるまで
神仏混淆の時代だったから
こうしたことができたのだとも言う

戒名を持ちながら
どうして神様になるのだろうと
疑問だったけれども
少し
解決されたように思った





Posted by 孤独の旅人 at 13:11│Comments(0)種々のこと
 
 
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