2020年04月20日

年中行事

年中行事
 今は忘れてしまったり、おろそかになったりで、季節季節の行事がおろそかになってきている。

 一 月
 元日、若水を汲み、岸上紳を始めとして紳祀佛閣に恣詣する溝多し。河東獄道敷設以来更級郡八幡紳祀へ參秤する者激琲せるを以て獄道貪欲にては大晦川の晩より元日の朝に百万臨時列車を蓮輯す乙を例ざしてゐる。近年廻嶮を唐し名刺交換台を催し米る。朝食は雑煮餅とすることが一般の習慣である。門松を飾り注連縄を張ることは一般世間と変りがない。旧藩の頃武家方へは東筑摩郡麻績村より門松を持參したものである。之は眞田家が未だ上田城主であった頃からの例なりといふ。
 二日、稽古始め仕事始めど俗寸。商佑は初売を祝ふて特別景品付の廉売を行ふ。古米初荷と唱へて商品を逡り出し又は迎へ入れる風習ありたれども今日にては除り行はれず、初夢、書初め等の仇償は依然ざして行はれてゐる。
 三日、三ヶ日と称す。神棚に供饌献燈し子供等は歌留多など取りて楽しむ。
 四日、新婚の嫁或は婿は里帰りを為し、僧侶は年始の廻禮を行ふ。
 六日、六日年取りて夕食を改む。
 七日、七種粥を食す『七種なづな唐士の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に』と唱へつつ七種を粥に入れて食ふもあり、又単に小豆を混じ之に粥柱とて餅を加ふるもある。
 十一日、庫開きとて業を休み鏡併を開く又旧藩の頃武家にては具足開きの祝いを為したものである。
 十四日、小正月の歳取りといふ。取り勝とて夕食を早くする風あり。
 十五日、門松を撤し一定の箇所に集めて焚く之を左義長といふ。児童は書初を青竹の先端に結び着けて焼き除燼の高く上るを栄誉とす。尚門松の火を家土産となし茶を沸して呑めば感冒に罹らぬと言ひ傅ふ。元松代下田町にては此日道祀紳を祀り、樫の木にて造りたる陰莖の撞木杵を担ぎ廻り戸毎に勧進せるも今はいつしか荒れて了った。
 十六日、お賽日といふ。[地獄の釜の蓋も明き、餓鬼も許される]と云はれ番頭、丁稚其他奉公人は何れも休業して遊ぶ。御安町龍泉寺。更級郡西寺尾村典厩寺の焔魔堂等參詣客にて賑ふ。
 二十日、二十日正月といふ。新年最終の遊び日とされている。


二 月
 二日 奉公人の出代り日であるが現今は定めの日といふものがない。昔は此日出代りの者等が松代木町中央橋辺にて行くか帰るか思案にくれし故に橋の名を思案橋と呼ぶに至った。
 節分、焙豆をまきて『福は内鬼は外』と唱ふ。而して共豆を拾ふて自己の年齢の数だけ喰へば壽命延び、之を保存して夏日初めて雷鳴を聞きたる時に喰らへば落雷の厄を免かれると言ひ傳ふ。
 初午 赤飯を炊きて稲荷を祀る。竹山随後稲荷社賑ふ。
 十一日 紀元節
 十五日、涅槃會、各宗寺院に於て〔ヤショウマを作りて參詣人に分つ。


 三 月
 十日、陸軍紀念日に当たるを以て在郷軍人分曾にては総会を開き紀念式を行ふ。
 彼岸 団子を作り佛前に之を供へ菩提寺及び墓所に詣づ。

 



Posted by 孤独の旅人 at 17:03│Comments(0)種々のこと
 
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。