2022年11月13日

乾徳寺と魚藍観世音菩薩

乾徳寺と魚藍観世音菩薩

乾徳寺と魚藍観世音菩薩

元文元年(1736)松代四代藩主信弘「乾徳院殿龍嶽一雲大居士」が六十七歳で没し、長国寺第十四世蜜峰和尚が信弘の冥福を祈るため一寺を建立し、照光山乾徳寺と号した。
松代五代藩主信安は、乾徳院の茶湯料として、十石六斗一合の地所を寄進した。
また、松代六代藩主幸弘は、自分の生母、慈眼院の守本尊であった、魚藍観世音菩薩を寺に納めた。

松代には、他所に
「魚藍観音」を祀っているところがあるが
ここの寺のような
明確ないわれ?????
いかがなものなのだろうか?????

祀り
続ければ
それは本物となってしまうのか?????

不思議だなー?????

そんなものなのかなー?????





Posted by 孤独の旅人 at 10:18│Comments(0)ちょっとそこまで
 
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。